きっかけは・・・

「100歳で100km完走」

これを思いついたのは、プロスキーヤー三浦敬三さんとの出会いがきっかけです。

プロスキーヤー三浦雄一郎さんの父であり、元オリンピックモーグル代表・三浦豪太さんの祖父である敬三さん。雄一郎さんのことは、80歳で三度目のエベレスト登頂に成功するなど、メディアを通じてその活躍は知っていましたが、父親である敬三さんのことは恥ずかしながら、全く知りませんでした。

テレビ朝日で毎週土曜日の22時10分に放送されている「激レアさんを連れてきた」に豪太さんが出演された5月30日放送の回で、敬三さんの超人ぶりが面白く紹介されました。

2006年1月に101歳でなくなられるまで、生涯現役のスキープレーヤーを貫かれた敬三さん。その生き方に深い感銘を覚えた私は、敬三さんのことをもっと知りたくなりました。

スーパーご長寿お二人の対談集

以下は、著書やWebで得た情報の一部です。

本格的にスキーの滑走を始めたのは、勤めていた青森の営林局を早期退職した51歳のとき。海外での初滑走は還暦を迎えた60歳で、普通なら仕事やスポーツを引退する年齢から新しい挑戦を始めた。

敬三さんの長寿の目的は「いくつになってもスキーを滑り続ける」こと。

健康法は徹底されており、スキーを楽しむために常に創意工夫されていた。

食事は、80歳のときに玄米食へ、おかずは、鶏肉、海藻類を圧力鍋で柔らかく煮た煮物などを食べていた。煮物にも、ミキサーで粉砕した煮干をたっぷり使ってカルシウムを補給するなど、体にいい食材を工夫してとる名人だった。

敬三さんが考案した数ある健康食の中でも有名なのが、20年以上も飲み続けていた黒ゴマにきな粉、酢卵、ヨーグルトなどを混ぜてつくるゴマドリンク。これを朝晩飲み続けたおかげで体力が衰えず、シミのない肌、黒髪を保っていた。

健康に対する高い意識や取組みだけでも見習うべきところは数多くありますが、更に凄いのは高齢になってからの数々のチャレンジです。

70歳でエレベスト77歳でキリマンジャロ88歳でアルプス完全縦走99歳でモンブランの氷河滑走と、古希、喜寿、米寿、白寿という年齢の節目で自らの目標を達成され、100歳では、親子4代でのソルトレーク、スノーバードでの滑走を行った。

100歳を過ぎてからも、日々の筋力トレーニングを欠かしたことはなく、片足スクワットや、スキーのストックを使ってのウォーキング、舌を動かすアッカンベー体操や首の運動など、上半身と下半身をバランスよく鍛えるトレーニングを日課にしていた

身体と心がうずうずしてきませんか?

私の魂は疼きました。6年前に走り始め、やがてウルトラマラソンに出会ったときのように、魂が揺さぶられ、血が沸きました。

いくつになっても元気に走り続けたい。

100歳で100km完走して敬三さんに少しでも近づきたい。

歳をとることに対する漠然とした不安、なぜ走るのかという疑問。

そんなものを吹き飛ばしてくれた敬三さんに、心から感謝したいと思います。

ありがとう 敬三さん!

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