雨男、「家に帰りたい病」発症す
これまでのレースやマラニックで、半分以上は雨に降られています。
昨年だけでも夢グレは二日目が雨、太陽の道も二日目が雨でした。もっと前のレースでは、2016年1月の宮古島(沖縄)ウルトラマラソンは翌日の新聞に取り上げられたほどの豪雨、同年5月の天竜川リバーサイドマラニックは二日目から三日目にかけて大風並みの暴風雨でした。
これだけ雨に降られるということは、私は晴男でないことは間違いありません。
案の定、日曜日(1/24)に行われた「HAT神戸ウルトラマラソン」も雨でした。
とはいえ、天気予報であらかじめ覚悟はしていたので、雨対策は万全です。
上下ともレインウエアは当然のことながら、汗むれや汗冷えを極力回避するために、上下ともアンダーウエアは撥水性・ドライ性能に優れたものを選びました。汗でムレムレになったレインウエアが直接肌にまとわりつくと気持ちが悪いので、足にはふくらはぎサポーターをはき、上は長そでのアンダーウエアの上に速乾性のTシャツを着ることにしました。
帽子の上からレインウエアのフードをかぶり、マスクで顔の露出面積を最小とし、眼鏡についた雨水をぬぐうため、かつ防寒対策として首にタオルを巻きました。
グローブは防水性のものとしましたが、体が温まってくると手のひらにかいた汗でグローブ内がビショビショになってしまうので、極薄のゴム手袋をつけてその上にグローブを履くことにしました。
靴は、グリップ力の強いトレランシューズに防水スプレーを複数回塗布し、防水性を高めました。
靴や靴下が濡れると、マメができやすくなるので、足の指を中心に皮膚保護クリーム「プロテクトS1」を塗り込みました。
ランニングベストでスマホや財布、水と補給食を携行しますが、スマホや財布はジップロックに入れて濡れないようにし、念には念を入れてランニングベストの上からレインウエアを羽織ることにしました。
完璧です。一見するとランニングというより、むしろ冬山登山に近いいで立ちになってしまいましたが、この極寒の中、7時間近く雨に打たれるわけですから念には念を入れ過ぎることはありません。
さて、レースは最初から最後まで天気予報通り雨でした。レース中ずっと雨だったことはこれまでになかったので初めての経験となりました。
60kmの部は男女合わせて60名強が参加されていましたが、そのいで立ちは、真夏のレース並みの短パン、Tシャツで臨んでいるツワモノもいれば、私のように上下ともレインウエアに身を固め、ランニングリュックを背負っている方もいます。
スタートして東方向に海岸沿いになぎさ公園内を1km進んで折り返し、スタート地点まで戻ってきて西方向に1km進んで折り返し、スタート地点に戻ってきて一周4kmのコースとなります。
ウッドデッキやタイル敷きの場所は、滑らないように慎重に足を進め、すれ違うランナーとは間隔をとるように注意します。幸い公園に遊びに来ている人や、散歩に来ている人がほとんどいませんでしたので、ランナー以外の方との接触に気を遣うことはありませんでした。というか、だれも訪れないほど天気が悪かったということですね。
さて、一周目。最初の折り返しまでは雨はさほど気にならなかったのですが、折り返して西に向かって走り始めると、顔に当たる雨を感じるようになりました。二つ目の折り返しで東に向かうと、再び雨は気にならなくなったところを見ると、体感的にはほとんど風を感じなかったのですが、どうやら東方向は追い風、西方向は向かい風のようです。
60キロを制限時間7時間内で走るということは、キロ7分ペースということになるので、最初の5周はキロ6分15秒前後で貯金を作り、次の5周はキロ6分30秒でなんとかこらえ、残り5周は根性で頑張るという計画を立てました。この寒さで通常よりもトイレの回数が多くなるでしょうから、この作戦でいけば6時間45分ぐらいでゴールできるだろうと考えていました。
ところが・・・
一周目を終えての率直な感想は、「これがあと14回続くのか・・・」。
二週目からはすでにコースに対する新鮮味はなくなっており、雨の中を黙々と走る修行僧の様相を呈してきました。
そして、出ました、「家に帰りたい病」が。それも6周目あたりから。
実はこの日は同時に20kmレースも行われていて、レースを終えたランナーが、すっかりくつろいだ感じで帰り支度をしているのを見て、無性に帰りたくなってきたのです。
「まだ11時か。今から帰れば、午後は家でゆっくりできるなぁ。本を読んだり、録画した映画やドラマを見て、のんびりした休日を過ごすことができるなぁ」
と、いつもの「帰りたい病発症」から、「リタイア」への道をまっしぐらに進みそうになりました。
残り5周までたどり着けば、カウントダウンが始まって、ゴールまでたどり着けそうな予感がありましたので、6~10周目はひたすら我慢、我慢でした。ご覧の通り35km~36kmにかけて10分以上かかっていますが、このあたりが最大のヤマ場であったような気がします。それでも何とか気力をふり絞って、これまでの楽しかった思い出で気を紛らわせたり、お気に入りの歌を口ずさんだりしながら一歩一歩前進しました。
10周目(40km)を超えると、途中リタイアに対するプレッシャーはなくなり、前半に作った貯金もあってか、なんとか時間内にゴールできそうだと確信しました。
どうやらトップの選手は既にゴールしたようで、このころから次第にコース上のランナーの数も減ってきました。それにしても、ちょっとランナー少なくないか、と気にはなっていたのですが、ラスト1周は前後を見渡しても誰も走っていません。どうやら私が最終ランナーのようです。
15時52分、制限時間まで残り8分でしたが何とか無事にゴールできました。完走証を見ると私の順位は24位。私が最終走者であることは間違いがないので、半数以上の方が途中でリタイアされたようです。
ゴールできてまず感じたのは、無事に怪我無く完走出来てよかったということですが、時間がたつにつれ「家に帰りたい病」を克服できたことに対する喜びがあふれてきました。思い返してみると、最後にゴールしたレースは2019年12月の大阪マラソンで、ウルトラマラソンに限れば2019年9月の「うつくしま、ふくしま。ジャーニーラン」以降は、「家に帰りたい病」に侵され、途中でリタイアしています。
鬼滅の刃15巻での、鬼舞辻無惨のセリフ風に言うと、
「ついに、家に帰りたい病を克服する者が現れた・・・!! よくやったemoyan!!」
といったところでしょうか。
実レースはやはり面白かったです。どんなに悪天候であろうとも、どんなにコースが単調であっても、他のランナーたちと同じ場所で同じ時間を共有できた喜びは、何物にも代えがたいものがあると今回改めて実感しました。
最後になりましたが、レースを主催して下さった実行委員の皆様には感謝を述べたいと思います。雨にもかかわらず折り返し地点で「頑張れー」と応援して下さったり、自転車で随行してランナーの様子を見守って下さったり。コロナ禍という厳しい状況でありながら、若いスタッフからご年配のスタッフまで、皆様のご尽力で素晴らしいレースを走ることが出来ました。本当にありがとうございました。