修験者・塩沼亮潤の世界
大峰千日回峰行とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から24㎞先にある山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行のことを言います。天台宗が日本に伝えられ、山に籠って厳しい修行をすることで悟りを得ることを目的とした「修験道」が始まったのが約1300年前。約1300年の中でこの修行を成し遂げたのはたった二人、そのうちの一人が塩沼亮潤さんです。
1968年生まれの塩沼さんは、1987年に出家し、1991年5月3日から千日回峰行に入り、1999年9月2日に千日回峰行を達成されました。
修行期間中は、午前0時30分に出発し、15時30分に帰山するまで15時間、道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けます。下山してから掃除洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行者自身がするため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続きます。毎年5月3日から9月3日まで年間4ヵ月を修行の期間としているため、足かけ9年の歳月をかけて達成されました。
修行には厳しい掟があり、どんな状況になっても1度この行に入ると途中でやめることは決して許されず、万が一途中で行をやめざるを得ないと判断したならば、所持している短刀でもって自ら腹を切り、行を終えるという、まさに命をかけた想像をはるかに超える修行です。
大峰千日回峰行と塩沼亮潤のことは、数年前に「大峯千日回峰行 修験道の荒行」という書籍を通じて知っていましたが、5月16日にNHK・BSで「大峰千日回峰行の道を行く 修験者・塩沼亮潤の世界」という番組が再放送され(初回放送は2020年10月18日)、修行のすさまじさや塩沼さんの考え方・伝えたいことを改めて知ることが出来ました。
過去のブログで幾度となくレースでの行き詰まりや、心の中の未熟さを書いてきましたが、塩沼さんのメッセージを聞いて、悩める私に一筋の光が差し込んでくるような感覚を覚えました。以下でその内容を紹介したいと思います。
行というのは自分を追い込みすぎたら死に至る。死ぬために行をするのではなくて、ぎりぎりの限界のところで何か気付くこと、感付くこと、つまり悟ることが出来る。人間の限界は誰にでもある。その限界を超えてしまったら「死」なのだが、限界ぎりぎりのところで、その限界を押し上げていくと、自分の限界が少しずつ、少しずつ上に行く。
毎日、自分を追い込んで、限界間際に追い込んで修行するのと、手を抜いて限界までとどかずに修行するのとでは全然違う。何故かというと、限界を押し上げていないから。
これは、サラリーマンの仕事にも通じる。ただこなしているのではなく、もうちょっと頑張ってみようとすると、だんだんとその人のスキルとか経験値が上がっていく。
50歳を過ぎてくると、いろんな経験もするし、いろんなスキルも上がってくる。そうすると、体力を使わなくてもスキルに逃げることができる。
サラリーマンでもなんでも、だんだんそういう方向に行く。
「初心」はすごく熱く、煮えたぎるような情熱みたいなものが誰でも胸の中にあったとはず。でも、その熱量がだんだんと失せて、スキルに走るようになると人を感動させることが出来ない。
体力はだんだんと衰えてくる。だからスキルに逃げる。これはちょっと危険だ。
体力はなくなってくるけど、昔、泥臭く、土臭く、カッコ悪くはい上がってきた、ああいう熱量というのは、生涯持ち続けるべきだと思う。
自分はそうならないように、トシをとっても熱量を持ったまま、最後の一息まで頑張って朽ち果てたい。
今の私は、果たして日々の仕事やランニングで、限界まで追い込めているでしょうか。在宅勤務で集中力が続かず、すぐ横になったり、眠いからと言って朝のランニングをサボったり、限界とはほど遠いレベルで妥協しているのではないでしょうか。
若い頃の仕事に対する情熱、ランニングを始めた頃の熱い思いを忘れてはいないでしょうか。定年まであと何年とカウントダウンするようになったり、家に帰りたくなったと言ってはレースの途中でリタイヤしたり、熱が冷めているのではないでしょうか。スキルやテクニックに逃げて、泥臭さや、何が何でもやり遂げるといった熱量は、どこかに忘れてきたのではないでしょうか。
いろいろ考えさせられましたが、急には出来ないと思います。少しずつ、少しずつ、泥臭く、泥臭く、限界まで追い込んでいくしかありません。それと塩沼さんが好んで口にする三つの言葉、「謙虚」「素直」「感謝」を忘れずに、決してすぐに腹をたてないように精進したいと思います。
さて、Amazonで「歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ」も注文したし、これを読んで「ランニング禅」を始めるとするか。