禅ランニング

前々回の投稿「修験者・塩沼亮潤の世界」で「歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ」のことを書きましたが、ようやく届いたこの本を読んで、よっしゃ、禅ランニングをやってみようと思い立ちました。

本の中では、禅とウォーキングを組み合わせたノウハウがふんだんに紹介されています。以下はその一部です。

・同じことを同じように繰り返していると、悟りが開ける可能性がある(イチローが打席に入るときの動作しかり)。

・歩行禅は、心の針を常にプラスの方向へとコントロールし、悟りに近づくための最も簡単なアプローチ方法である。

・ステップ1[懺悔の行] 歩きながら「ごめんなさい」を唱える。自分が「懺悔」すべきことを思い出しながらウォーキングを行なう。

・ステップ2[感謝の行] 歩きながら「ありがとう」を唱える。「感謝」すべきことを思い浮かべながらウォーキングを行なう。

・ステップ3[坐禅の行] 瞑想して、今の自分と向き合う。今の自分に与えられた環境とご縁、今の自分が置かれている状況、今の自分が歩んでいる人生と向き合い、客観的にとらえ直すことで、心のバランスを調整する。

・例えば、ウォーキングの往きにステップ1を行い、かえりにステップ2を行なう、あるいは通勤の往復で1と2を割り振るなど、やり方は自由。細かいことは気にせずに、毎日続けることが大切。

方法は至ってシンプルなので、これをランニングに取り入れられないかと、早速、試してみました。ただし、ステップ3の「坐禅を組んでの瞑想」は、本来であれば寝る前などに行なうものですが、これもまとめてルーチン化した方が長続きするのではと思い、1時間のランニングで前半20分を「懺悔のラン」、中盤20分を「感謝のラン」、最後の20分を「瞑想のラン」に割り振って、一気に行なうことにしました。

日の出とともに、いざ、スタート。

はて、何を懺悔すればいいのかな?

とりあえずは、昨日の晩ご飯のときに「あなたは何を食べても「おいしい」とも「まずい」とも言わない。試しに、ご飯と梅干しだけ出してみようかしら」と家内に言われたことを反省しよう。

いつも食事を作ってくれていることを、当たり前のように思っていてごめんなさい。感謝の気持ちが足りませんでした。反省します。

他に何かあったかな? あっ、思い出した。

在宅勤務をする際に、「あなたはいつも直前にならないと言わない。食事とかの都合があるから、もう少し早めに言ってほしい」と家内に言われたっけ。これからは予定が決まった時点で、速やかに連絡します。申し訳ありませんでした。

他に何かあったかな?

そういえば、トイレを使う際に家内から・・・。

といった感じで、20分かけて懺悔を試みたのですが、ほとんどが家内に対する謝罪になってしまい、自分がいかにダメ亭主であるかが改めてわかりました。

さて、次は中盤の20分、「感謝」です。懺悔のように偏ることはなく、広く、網羅的に感謝することが出来ました。

梅雨にもかかわらず、良い天気の下で走ることができ、感謝します。

歩道が整備されているおかげで、車との接触事故を気にせずに走ることができ、ありがとうございます。

こうやって走り続けることができるのも、家族のサポートやチーム・エモやんのメンバーの応援があるからです。心から感謝します・・・

といった感じで、あっという間に20分が過ぎていきました。

最後の20分は「瞑想」です。

自分は絶対に正しいと過信していないだろうか。

見返りや報酬を求めすぎていないだろうか。

誰かの役にたっているだろうか。

些細なことでイラッとしていないだろうか。

日々、ベストを尽くせているだろうか。・・・等々。

60分の禅ランニングを終え、課題が見えてきました。

一つ目は、「反省」が初日にして早くもネタ切れです。塩沼さんの本には「人間誰しも、自分のことを反省するのは難しいものです。懺悔や反省が思いつかない場合は、右足を出すときに「謙虚」、左足を出すときに「素直」と唱えながら歩いてもいいでしょう」と書いてあったので、明日からはこの方法を試してみたいと思います。

二つ目は、ゆっくりしたペースで走っているはいえ、後半の20分は息も切れ、足の運びも怪しくなり、「瞑想」には適していないということがわかりました。心を安らかに保つことができれば良いのですが、路面の段差や通行人、信号などが気になってしまい、どうしても気が散ってしまいます。

三つ目は、これを毎日続けるのはなかなか大変だという、根本的な問題です。塩沼さんも「いちばん大切な「継続」が、いちばん難しい」と書かれています。

そのうち、「昨日も走るのをサボってしまいました。反省します」や、「走っている最中に、おねえちゃんの後ろ姿が気になって、瞑想どころではありませんでした。反省します」が、反省の大半を占めるようになるのでは、いや、かなりの確率できっとそうなると、妙に確信めいたものを感じるのでした。

禅ランニング、超えなければいけない道は険しそうですね。

日々これ修行なり

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