何をそんなに怒っているの?
歳をとると次第に怒りっぽくなる人がいます。逆に、若かったときは短気ですぐカッとなっていたのに、歳をとるにつれ穏やかになる、いわゆる「カドが取れる」人もいます。
さて、自分はどっちだろうと考えたとき、「表面は穏やかにしていても、内心、もの凄く腹を立てている」ことが多くなってきたような気がします。
例えば、ランニングをしているとき、狭い歩道をふさぐように横に並んで、すれ違うときによけるそぶりも見せずに歩いている人たちを見ると腹が立ちます。
「歩道はお前らだけのモノちゃうやろ。すれ違う人のために一列になって歩かんかい!」と、内心は思っているのですが、気の弱い私は声に出して言えるはずもなく、通り過ぎてからは逆に、「あ~、なんでそんなしょうもないことに腹立てたんやろ」と、自分自身に腹を立てる始末です。
また、混んだ電車の中で大きなリュックを背負った人を見ると、「前に抱えたり網棚の上に置くのがマナーやろ!」と憤慨したり、大きな鞄を持った人とすれ違ったとき、そのバックが身体に触れようものなら、「ちゃんと周りを見て、鞄が人に当たらんように歩かんかい!」とか、些細なことにすぐカッとなってしまいます。
挙げ句の果ては、電車の中でイヤホンをつけて一心不乱にスマホを操作している人をみて、「スマホに支配されやがって、自分の頭で考えとるんかこいつらは。姿勢も悪いし、年とってから苦労するで」などと、その人は誰に迷惑をかけるわけでもなく、ご自身で楽しんでおられるのに、もはや言いがかりとしか言えないような怒りようです。そして、同じように「なんでそんなことに腹を立てたんだろう」と反省するのです。
忘れてはならないのは、歩きスマホ、歩道を走る自転車、マスクをしていない人たちに対しても、やり場のない怒りを感じることがあります。あぁ、書きながら腹が立ってきた(笑)。
一方で、以前であれば腹を立てていたようなことが、最近は気にならなくなってきたこともあります。
例えば、私はどちらかと言えばきれい好き(片付け付き)なので、家内が、使ったモノを元に戻していなかったり、モノを置く場所を変えてしまうことに対して、かなり激しく腹を立てていました。ところが最近では同じような状況になっても、「まあ、しゃあないな」とか「そのうち片付けるだろう」と、怒りレベルはほとんどゼロの状態で、穏やかな心の状態を保っています。
また、これまでに紹介した「夢グレ」や「太陽の道」を主催している日本100マイルクラブですが、初めて参加したときはその「ユルさ」に少しムカッときたこともありましたが、今では逆に、「100マイルクラブらしくていいな」と、そのユルさが微笑ましく思えるようになってきました。
ネットで調べると、年齢を重ねると怒りっぽくなるのは、脳の萎縮が進み、理性的なブレーキをかける前頭葉が衰えるからとか、脳の成長を止めないよう常に学ぶ姿勢を忘れずに新しいことを受け入れましょうとかいった記事はたくさん出ています。
ここでは少し視点を変えて、腹が立つか立たないか、その境界はどこにあるのかという観点で考えてみようと思います。
私の勝手な推測ですが、おそらく、相手を知れば知るほど怒りの度合いは下がってくるのではないでしょうか。
家内の話にせよ100マイルクラブの話にせよ、相手の性格や行動様式がわかると、自分の力では如何ともしがたい、あるいは、自分の力で変えようと試みても、その結果得られる成果は、それこそ些細なものだと気付くようになります。「それはそれでしゃあないな」と自然に流せるようになり、怒りの沸点は下げってくるのではないかと思います。
道をふさぐ人や、電車の中の人々に腹を立てるのは、相手が見ず知らずの第三者だからであり、これも相手のこと、つまり考え方や生活様式、彼らを取り巻く環境などをもっと知れば、「あ~、なるほどな」とか「そりゃしゃあないな」と思うことも増えるのではないでしょうか。
歩道を走る自転車や、歩きスマホをする人、マスクをしていない人にも、何らかの理由があるのかもしれません。車の交通量が多くて身の危険を感じて歩道を走っているのかもしれません。どうしても今すぐに連絡を取らなければならない相手にLINEを送っているのかもしれません。気管支系が弱く、マスクをすると呼吸が困難になるため、室外だけやむなくマスクを外しているのかもしれません。
いずれにせよ、相手のことを知らない、理解していないが故に、自分の正論だけを縦に一方的に怒っている可能性はあるのではないかと思います。相手のことを知ろうとする意識や努力は大事です。一概に「若者論」のようにステレオタイプとして理解するのはもちろん危険ですが、それでも全く知らない、知ろうとしないよりはましではないかと思います。
と、偉そうなことを言いましたが、冒頭書いたように「内心、もの凄く腹を立てる」ことが多くなってきたのは事実です。頑固オヤジとなるのか、はたまた好好爺となるのか。なんとなく頑固オヤジになるのでは、と思い始めた今日この頃です。